日本流星研究会

ジャコビニ流星群・観測記

Last Update : 1998/10/12


 日本流星研究会会員、岡安裕之さん(埼玉県白岡町)による「ジャコビニ群観測記」です。

ジャコビニ群観測記

岡安裕之

☆ 序 ☆

 1985年の時は体育館の設計をしており、残業をしてから帰ってきました。極大予報が22時であったこともあり、その時間に観測地へ着けばよろしいと漠然と考えていました。たしか21時頃家に着き、ふと見上げた西の空を面積が感じられる流星が飛ぶのを見ました。観測地について、仲間から「全然飛ばない」と聞きました。彼らも夕方の大出現を知らなかったのでした。その後、福島のアマ天に参加し、「夕御飯を悠長に食べているような、不真面目な観測者は大出現を見られなかった。」などという話を聞き、大変悔しい思いをしました。

☆ 準備 ☆

 流星観測は昨年のふたご以来さぼっていたので、ジャコビニの1ヶ月前に同じような月齢の晩に予行演習をしました。月を背にして輻射点側を観測できるので、夜半前ならそれほど月を気にしなくて良いと思いました。最微光星エリアも予習しておき、本番で慌てず正確な最微光星光度が得られる訓練もしました。

 観測終了後、やけに頭と体がかゆく感じました。次の日、明るいところで見て驚きました。ミチコロンドンの布製サマーベットが、虫の巣だらけになっていたのでした。天気の良い日に、観測用具一式を入念に虫干ししましました。

 観測を予定している粕尾峠は標高が1300m近くあるので、ジャコビニの季節でもかなり寒くなることが予想されます。冬物の観測着を取り出し、観測バックに入れました。ホカロンも用意しました。今年は「高温タイプ56度」というのがあったので、それを買いました。

 勉強もしました。藪先生が天界に書かれたご研究から、やはりジャコビニは夕方の条件が良く、輻射点はつるべ落としに下がってしまうので、予想極大の時刻に惑わされず、夕方を中心に観測しようと思いました。

 日本流星研究会会報「天文回報」に連載されていた「ジャコビニ群に向けて」が大変勉強になりました。特に大塚さんのご研究を読んで、ジャコビニは必ず出ると確信しました。

☆ 当日 ☆

 今年は早くから10月8日の午後は年休の申請をし、意図的に仕事の交通整理をしておきました。昼飯を超スピードで食べ、「あとはよろしく!」と同僚に挨拶し、返事を聞かずに職場を駆け出しました。家に帰り、前から用意してある観測バッグと虫干ししリニューアルされたサマーベッドを車に放り込み、久しぶりの粕尾峠を目指しました。東北自動車道でついついスピードが出過ぎます。あっという間に栃木インターに達し、あとは山道に入ります。最後のコンビニで夕食を買いこみました。赤飯のおにぎりが見えました。「ジャコビニがたくさん出たらこれを食べよう」と考えました。

 粕尾峠までは高速を下りてからの方が時間がかかります。折しも来日されていた金大中大統領の演説がラジオから流れていました。「この人が日本で拉致された頃、ジャコビニの騒動があったのだったかな」。そんなことを考えながら山を登りました。

 峠の直前、ログハウスの喫茶店があります。そこで一休みしました。目的はもちろん「ブルーベリータルト」。ジャズを聴きながら視力を強化していたとき、千葉の方のナンバーのバンが前の道を通りました。内山先生の登場でした。私は残りのティーを優雅に飲んでから、彼の後を追いました。

 観測地である粕尾峠勝雲山駐車場に到着したのは16時でした。やはり内山先生が先着しており、車の中で仮眠中でした。まぶしい夕日で、条件の良さをとてもうれしく感じました。私はそこで夕食を食べてしまいました。車を最東端に移動し、月を車でブロック出来るようにしました。サマーベットを広げ、シュラフや防寒着をセット。三脚を立て、佐藤孝悦さんにご指導いただいたフィルムをカメラに詰めました。レリーズは寝ながら届くようにし、空から目を離さずシャッターが操作できるようにしました。露出は腕時計が10分ごとにコールするので、それにあわせて行います。

 正月火球をここで撮った鈴木君が到着しました。今回も写真を撮るようです。その他数人の仲間が揃いました。内山先生はGN-170にカメラを2台乗せて撮影するそうです。仲村君は重野4連の試運転とのこと。各自の準備の様子を横目に見ながら、私は早くもサマーベットに乗りました。

 日が沈んだ頃から、雲が出てきてしまいました。薄明中かなり雲量が増え、とても心配しました。実は天文薄明の終わる18時46分から月の出る19時19分の間、約30分間に山を張っていたのです。

 観測を始めた18時30分には雲量が3でした。それが急速に少なくなって行き、薄明終了すこし前に快晴になりました。天頂に天の川が出てきました。しかしそれは以前ここで見たような濃いものではなく、下界でもたまに見えるような貧弱なものでした。薄い雲が全面に張っているのか、下界が雲で遮断されていないために見える町の灯の影響があるためなのかもしれません。月が出てきてからはさらに条件が悪化し、何度エリアを確認しても4.5等しか見えませんでした。

 ジャコビニ群は夕方からぼちぼち出ていました。しかし数が少なく、何となく仲間から非難されているような気持ちがしたので、いろいろ冗談を言って場を盛り上げようとしました。それでもあんまり笑って頂けませんでした。

 徐々に出現数が増えていたので気がつきませんでしたが、いつの間にか探り書きのレシート用紙が太くなり、巻きづらくなりました。となりでGNを動かしながら計数観測をやっている内山先生は音声時計で時刻を記録していたのですが、その音が妙にたくさん鳴るようになりました。空を見ると同じようなところに連続してジャコビニ群が流れます。同時に何個も流れています。ちょうどその時でした。ボンゴ車がやってきて、中から若い女の子たちが何人か出てきました。彼女たちが空を見て、沢山の流星出現に黄色い声を上げています。外人の子もいるようです。「英語で話してみてーな」などと考えましたが、それどころでありません。こちらはもう真剣です。無言で黙々と数えました。速度の評価をやめました。出現位置の記載をやめました。光度と群判定と痕のみで勝負しようと決めました。最高は1分間に7つでしたが、等間隔でないので困ります。同時に数個出るので、判断に躊躇が出来なくなりました。

 ふっと気が付くと、内山先生が「写真観測に専念する」とか言って、女の子たちと楽しく話しているのが聞こえました。「うちの先生も、内山先生みたいに理解があるといいのにねー」などという声も聞こえます。

 女の子たちを引率してきた自称「酒屋の店主」が、「先生、11月の18日には酒とおつまみを持って、陣中見舞いに駆けつけますぜ。」などと訳の分からないことを言って、彼女たちを車に乗せて帰っていきました。時に22時30分。すると、急にジャコビニの数が減ってしまいました。ピークの時だけ、それも流星群の夜と言うことを全く知らずに現れ、沢山の流れ星を見、内山先生の蘊蓄たっぷりの解説まで堪能した、あの一団はいったい何だったのでしょう。ししの夜には美味しいものを持って、また現れるのでしょうか?

☆ 結び ☆

 9日は年休が取れなかったので、23時30分に帰途につきました。少し離れたところで写真を撮っていた古河の人と少し話をしました。彼も沢山の流星に、とても満足のご様子でした。

 南の方を望むと、綺麗に瞬く町の灯のその向こう側は、低く雲が出ているようにも見えました。御殿場はどんな具合なのだろう。そんなことを考えながら、峠を下りました。鹿の鳴き声がしていたので、鹿にだけは注意をしていましたが、現れたのはかわいい野ウサギ君だけでした。

 途中のコンビニは24時間営業。予定とおり赤飯のおにぎりを買って、幸せな気分で食べました。その時はまだ、ZHRで1000を越えていたとは知りませんでした。

(おわり)


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